ぼっちの愉快な人生観! と嘆き

ーぼっち・顔面弱者の「気休め」と「娯楽」の場ー

人は『見た目が全て』なのか、そうじゃないのか?

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『人は見た目が全て』『人は見た目じゃない』

この2つが今でも議論されているかと思います。

「見た目」のせいで悩み続けてる人生であるかもしれないし、「いや見た目が全てじゃない、大事なのは中身」というのを信じて生きているかもしれません。

それはどっちが正しいのか?

 

僕(筆者)から、その「人は見た目」という問題の結論を、僕なりに答えたいと思います。

 

 

人は見た目?

 

人は見た目が全てなのか?

 

その答えは、「人によりけり」だと僕は思います。

つまり、「見た目で決まらない人」と「見た目で決まってしまう人」とで、分かれるということです。

それを言うと、『人は見た目が全て』は正しくもあって、間違っているってことになってしまいますね。

 

結果は、人によって違う――。

その道に進むことが、全員が全員「正しかった」なんてことはありませんよね。

人生がそんな単純なら誰も苦労はしません。

だから、『人は見た目が全て』の問題は、人によって「正しい」と「間違い」があるのは当然かと思います。

 

じゃあ、問題の「見た目で決まる・決まらない」を分けるのは、どういう見た目でいる場合なのか?

その特徴を考えていきます。

 

 

『見た目では決まらない人』 

 

〇イケメン・美人

 

もう、言わなくてもわかる通り、イケメンと美人は見た目がいいので、「見た目」について悩むことなど、圧倒的に少ないと思います。

「イケメン・美人」は見た目が良いがために、いろいろ優位で、普通の人よりも人一倍得をすることが多いでしょう。人生イージーモードとも言われますよね。

 

「イケメン・美人」は見た目がクリアしてるので、問題視されるとすれば、「性格」になります。

つまりは「中身」が大事になるので、「イケメン・美人」は必然的に『人は見た目じゃない』『見た目で決まらない』という立ち位置になるわけです。

 

 

『見た目で決まってしまう人』 

 

〇ブサイク・ブス

 

『見た目で決まらない人』がイケメン・美人なら、『見た目で決まってしまう人』がブサイク・ブスでしょう。

 

ですが、一口に「ブサイク」と言っても、いろんな見た目の人がいるわけです。

当然ブサイクの中には、ブサイクであっても「人気者である人」、「仲のいい友達はいる人」、「ボッチでいる人」、「ネタ役として扱われる人」、「どこへ行っても嫌われ者でいる人」がいるわけです。 

 

その「ブサイク」の中でも「ブサイクすぎる人」、「普通」からかけ離れてる見た目の人が『人は見た目が全て』と、言える権利があると僕は思います。

 

なぜかというと想像がつく通り、ブサイクすぎる人の人生って悲惨だからです。

 

・学校・職場と行けば、その場にいるだけでみんなから嫌われるのは当たり前。

・悪口・陰口言われるのは当たり前。

・仲間外れや避けられるのは当たり前。

・普通の人と同じことをやっているだけなのに、悪いように言われるのは当たり前。

他の人との扱いが違いすぎるなど、言葉にするだけでも痛々しい日常を送っているのがブサイクすぎる人なんです。

 

同じ人間でも、見た目の違いだけでこんなにも人生の在り方に落差が生まれる。

だからブサイクすぎる人は、『人は見た目が全て』と言える立ち位置になるわけです。

 

人の中には、努力ではどうにもならない「見た目」を持っている者がいるわけですから、周りの人が「もっと努力しろ」「中身で勝負しろ」などと言ったところで、そんなことしようが「無駄」と本人は諦めています。

 

仮に、本人なりに頑張って来たとしたら、「もっと努力しろ」と野次を飛ばすくらいなら、周りの人間がブサイクに対しての接し方を、改めるべきだと僕は思います。 

 

 

まとめ

 

『人は見た目が全て』・『人は見た目じゃない』という議論に、僕なりに答えた記事でした。

 

例えブサイクであったとしても、自分の怠惰から見た目が悪くなったとしたら、努力で改善ができるでしょう。

怠惰で見た目が悪くなった人に、『人は見た目が全て』と言える権利はないと思います。 

 

また、「見た目」と同じように、結局「性格」も大事です。

ですが、まずは「性格」よりも「見た目」が大事ですね。

人は第一印象で人柄を判断してしまう傾向にあるようですから、今後の人間関係を良好にするためには、極力「見た目」に気を遣う必要があるかと思います。