ぼっちの愉快な人生観! と嘆き

ーぼっち・顔面弱者の「気休め」と「娯楽」の場ー

「学校」というものを耐えて卒業 → 結果「引きこもりニート」 

スポンサーリンク

 

多くの人間が、「学校」というものに通います。

この「学校」という場は、そこで楽しく過ごし、学校生活を上手くやっていく人と、その反対に上手くやっていけない人に分かれます。

 

僕(筆者)は、後者だったんです。

ですが、本当は学校が嫌いでしたけど卒業まで耐えて通い続けました。

 

その結果、今は引きこもりニート。

 

そうなったのは、なぜかというと―――?

「学校での生活」がトラウマになり、それが心に残って自分の自尊心は低下し、対人恐怖症になったからです。

その感情が色濃く出たのは、学校というものを卒業した後でした。

 

よく、つらいことや苦しいことに耐えれば、人は強くなるなんて世の中にはそんなイメージがありますが、それは「ケース」によります。

耐えればいいことと、耐えても無駄に終わる努力があるでしょう。

 

特に、「人間関係」は努力でどうにかできるものじゃありません。

 

成績とか運動能力は、自分自身の問題になるので「努力」で改善ができるでしょう。

しかし、「人間関係」となれば、自分がいくら相手に対し尽くたとしても、それを評価するのは相手次第になります。

自分が相手に興味があっても、相手は自分のこと興味が無いとなったら関係は築けません。

 

この「人間関係」をいかに、上手く良好にできるかが人生ですごく大事なんです。

だから「人間関係」に対して、悩む人が多くいるわけなんです。

 

僕は学校生活で、この「人間関係」に苦しめられたため、自分に自信は持てず、人と会うこと自体億劫になりました。

 

学校を出たら、今度は社会人になります。

この「社会」というものは、学校の時点で上手くやってこれなかった人には、ハードルが高すぎです。

働ける場所なんて、かなり限られるでしょう。人と上手くやっていくことができないんだから。

 

 

正直僕は、学校に通い続けても何も強くなりませんでした。

「嫌なことはやりたくない・挑戦したくない」

そういう精神が染みつきました。

性格は歪んでます。

 

学校での起きたことが、今では記憶がよみがえって、落ち込んだり、ショックだったり、嫉妬心が湧いたり、憎しみが湧いたり、殺意が湧いたり。

そんな感情が沸き上がります。

 

自分の今後に対してよりもはるかに、過去のことを引きずっているんです。

そんな生活を送っています。

 

 

引きこもりの生活を送ってわかったのは、この世は「弱者」に対し、さらに厳しくさせるということ。

 

弱者は見下されるし、人並みの人間扱いをされない。

 

だから、弱者として生まれてきた時点で日陰に追いやられ、多くの人間が欲しいと思う幸せは手に入らないということです。

 

「そんなの努力でどうにかなんだろ。甘えんな」

とか言うかもしれないけど、

じゃあ、その弱者が今まで努力してきたとしたら、それ相応に評価する?

 

しないでしょう。どうでもいいと思うでしょう。

弱者の人生に価値を見出すことなんてないでしょう。

 

 

だから、人や世の中が憎いんです。

生まれてきた際の、家庭環境や容姿で、大体自分の人生がどうなるかは決まっていますから。

これで、はじめから不利な状況で生まれてきたのなら、世の中を憎まずにどうしろと?