僕、筆者は見た目が悪いです。
「太ってる」「不潔でいる」とかそういうのじゃないです。
当然、見た目が悪かったために嫌われていました。
タイトルにあるように、見た目が悪くて嫌われてる状況にいたので、周りの人間が僕の悪口・陰口を言っていた時は、内心キレたかったです。
嫌われ者の僕だって、人間の感情「喜怒哀楽」があります。
だから、悪口を言われてた時はもちろん、悲しかったし、怒りもありました。
今でもふと、怒りが湧き上がることがあります。
心の傷は一生ものなんです。
でもそんな中、僕は立ち向かうことはできず、ずっと我慢するだけでした。
なぜそうしたか?
だって、外見が悪い者は、立ち向かったって無意味だから。
世の中は、『イケメン・美人は正義』で、『ブサイク・ブスは悪』である風潮があります。
イケメン・美人は何をしても良くて、ブサイク・ブスがするのは許されないことが多いのです。
代表的な例えを言うと、『ブサメンが可愛い子に告白をする』 というもの。
僕みたいな外見の悪い人間が、イケメン・美人に対して、
『僕のことそんなふうに言うな! 勝手に決めつけるな! 僕のなにを知っているんだ!!』
と、言ったところで何にもなりません。
外見が悪い者は、はじめから外見が良い者には勝ち目なんてないんです。
ブサイク・ブスの人間が、イケメン・美人を罵倒するば、即座に『悪者』になります。
逆に、イケメン・美人がブサイク・ブスをいくら罵倒したところで、『悪者』になんかなりません。
イケメン・美人がブサイク・ブスをいじめ続けても、罪に問われることもありません。
そう世の中は、『不条理』でできています。
その『理不尽』『不条理』さから、憎しみが生まれるんです。
僕自身、もうとっくにこの世の中を怨んでます。性格も歪んでます。
相手に何もしてなくても、理不尽に叩かれてきた分、やり場のない怒りが溜まっているんです。
人が多くいる場にいると、いつもそんな感じなので、だから僕は人の中で生きていません。
人の中にいても、見た目から入って突き放されるし、
孤独でいるほど、人の輪を見た時、憎しみが湧いてきます。
正直学生でいた時は、イライラしてしょうがなかったです。
このことから、もう積極的に人の中には行かないと決めました。
僕にとって、人の中に行くことにメリットがほぼありません。
このまま社会に働きに行っても、「生活のため、お金を稼ぐためだけに働く」という目的で、生きることになります。
そんな生活に幸せはないだろうし、今やっている「動画視聴やゲームをする」ことを省いて、生活のためだけに働きに出るくらいなら、「ニートでいいわ」
って感情があります。
ほら、歪んでるでしょ。